ドラマ「ブギウギ」に見るジャズの真髄
10月から始まったNHK朝ドラ「ブギウギ」を毎日楽しく見ています。
モデルは「東京ブギウギ」で知られる歌手の笠置シヅ子。
僕が物心ついた頃には歌手を引退されていたので、僕は彼女をテレビタレントのひとりであり、流行歌の歌手のひとりだとしか思っていませんでしたが、戦前の音楽が好きな僕の奥さんにすすめられて音源を聴いてみると、日本人離れした、ジャズのリズム感を持った本格ジャズシンガーだったので驚きました。
今週、ドラマでは、笠置シヅ子をモデルとする福来スズ子が、作曲家・服部良一をモデルとする人物、羽鳥善一と出会い、そして「ジャズ」に出会う場面でした。
羽鳥が作曲したスズ子の新曲「ラッパと娘」はホットなスイング・ジャズで、しかも、大部分がスキャットです。
NHK公式 ドラマ「ブギウギ」ラッパと娘 YouTube動画
少女歌劇団出身のスズ子は、ジャズのジャの字も知りません。
わからないまま一生懸命歌うスズ子に、羽鳥はジャズのアドバイスはせず、ただ
「福来君は福来スズ子をつくらなければならないのではないか」
「僕は福来君が最高に楽しく歌ってくれればそれでいい」
そしてスズ子は開眼し、ショーを大成功させます。
ジャズのスイング感は個性ではなくメカニカルなものなので、これはドラマの演出であり、スズ子に天才的なリズム感があるという前提で成立するストーリーですが、羽鳥のセリフには、ジャズを歌い、演奏するうえで大切なこと、真髄といっていいものが秘められています。
ひとつは、誰の真似もしなくて良いということ。
もうひとつは、心からの思い、つまり魂を音楽に乗せるということ。
これはどの音楽にも共通しているので、芸術の真髄かもしれませんが、即興音楽であるジャズにとって、これはとても大切なことです。
即興音楽である黒人音楽をルーツとし、それを西洋音楽のセオリーに取り入れているジャズは、譜面通りに演奏されるスイングジャズであっても、歌手はフェイクを使ったり、その場限りのパフォーマンスを入れることがよくあり、その名残を残しています。僕たちの演奏するモダンジャズはなおさらで、譜面は記号でしかなく、再現性も求められていません。
そのジャズを演奏しながら、誰かの真似をしたり、間違えていないかどうか、上手に歌っているかどうかを問題にしながら演奏するのは、全く意味がありません。
演奏を会話と考えてみましょう。その場の空気を掴んで思うままに演奏するジャズは、会話とよく似ています。
友達と話すときに、誰かの物真似をしたり、上手にできているかどうか、そのようなことを気にしていては、少しも会話は弾まないし、気まずい空気が流れるでしょう。第一、自分の言いたいことは何も言えずに終わるでしょう。
ジャズも同じです。
心から楽しく。怒るときも、泣くときも心から。
それを音楽に乗せることができて、はじめて、「ジャズを演奏することができるようになった」ということができるようになるのです。
そのためには、ジャズという音楽をしっかり体に入れて、小さなことが気にならないようにならなければなりません。
僕は僕の生徒たちには、そのように教えています。