吉野に来て弾き方が変わった理由
僕が大阪から吉野に移住して五年目に突入しました。
20年住んだ心斎橋から引っ越した阿倍野で暮らしていたのも5年間だったので、早いものです。
阿倍野に引っ越したときは、ここが最後まで住む家だと考えていました。そこも築80年の古民家で、一軒家で、便利な場所にあり、家の中は静かだったので、とても快適に暮らしていました。ずっと住むつもりだったので、藏を改造して防音室にしていました。
それでも引っ越すことになったのは、ほかにも理由があるのですが、きっかけになったのは、僕が蛙の鳴き声を聞いて喜んだことでした。梅田のスカイビルに映画を観に行ったときのことです。
スカイビルの広場には、コンクリートで囲った小さな田んぼがありました。そこに稲が植えてあったので、そこで蛙が合唱していました。ずっと大阪に住んでいて、蛙の声を聞いたのは本当にひさしぶりのことだったので、うれしくて、ずっとそこで蛙の声を聞いていました。
僕の様子を見た奥さんが、すぐに家を探しにかかりましたが、田舎の家なんてなかなか見つかるものではないので、あちこち探して歩くことになり、あきらめた頃に見つけたのが吉野だったというわけです。
奥さんの話によると、蛙の声を聞いている僕を見て、僕に必要なのはこれだと直感したのだそうです。僕を子供の頃に戻さなくてはいけないと思ったと、僕の奥さんはあとになって僕に言いました。
子供の頃、僕の家の周りには田んぼがたくさんありました。僕はそこで、泥だらけになって遊んでいる子供でした。
僕が外で遊ばなくなったのは、ピアノを始めてからのことです。大阪では昼まで寝て夜起きる生活で、日光にも当たらず暮らしていました。子供の頃は正反対でした。
吉野には、僕が子供の頃に見ていたものがすべてありました。田んぼや畑、虫や鳥、植物、きれいな小川、そのどれも大阪にはない、なくてあたりまえのものでした。土さえ大阪の僕の生活にはありませんでした。大阪では暑いか寒いかでしか四季を感じることもありませんでしたが、吉野では、四季どころか、景色がめまぐるしく変わります。
吉野に来て、僕は、面白そうだと思うことは全部するようになりました。鶏を飼い、犬を飼い、まねごとですが畑をはじめました。
このように暮らしていると、心が子供の頃に戻ってきたんだと思います。ピアノも、以前は頭で考えて弾いている部分もたくさんありましたが、今は、それよりも面白そうだと思うことを全部できるようになりました。
畑をしているからだと思うのですが、体力もついてきたと思います。以前は2ステージこなすとクタクタになっていましたが、今は、バテずに2ステージを全力でこなすことができます。
また美しい山々を毎日見ていることは、これも良い影響を受けているのではないかと思います。
音楽に限らず、アートと呼ばれるものは、その人が人間として取り入れてきたものでできていて、その吐き出し方の問題だと僕は考えています。吉野の美しい景色、旬の食べ物、井戸から湧き出る水、毎日その恩恵を受けていることも、僕の音楽を変えていると感じています。