僕がバークリーで学んできたこと
僕がバークリー音楽大学に入学したのは1978年、一度休学したあと、1991年に卒業しました。
僕がバークリーに入学した頃は、まだまだヒッピーの空気が残っていて、多分、今よりちょっと乱暴だったのではないかと思います。練習室のピアノには、生徒が勝手に調律しないように、南京錠がかけられていました。
僕はここで何としても成功すると決心していたため、アメリカ人のルームメイトと共に生活し、同じものを食べ、自分の中にアメリカを取り入れることから始めました。
キャンパスライフという楽しいものは、送ろうと思えば送れたかもしれませんが、僕にとっては、監獄であり、軍隊でした。別に厳しい戒律があったわけではなく、世界中からバケモノのようなプレイヤーが集まっていたので、遊んでいるどころではありませんでした。
そこで学んだ有名なバークリー理論はもちろん僕の骨格になりましたが、特に印象的だったのはセッションの経験です。
バークリーでは授業が終わると部屋が解放されるので、教室を確保して、連日連日、セッションしました。学生だけではなく、外部の人も入ることができました。1組につき2時間の時間制限がありましたので、お酒もタバコも余計な人付き合いもなく、純粋にセッションに打ち込むことができました。誰もおしゃべりはしませんでした。
これほど音楽以外のことを考えることなく、純粋に音楽を追求するセッションができたのはあとにも先にもこのときだけだったかもしれません。
ジャズは、誰かに合わせて音楽を完成させるものではないということ、みんなでいろいろなものを持ち寄って、自由のなかで積み上げてゆく感覚を僕はそこで学びました。それが楽しくてしかたありませんでした。
バークリーで僕が学んできたのは、自由でした。僕の生徒たちにも、音楽で自由になるこの体験を伝えることができたらと思っています。